Dofiという男(地獄の扉オープン編)
Dofiです。
今日のブログは、「私の紹介になります」
芸能人でもないのに自分の紹介してもなって思ったんですが、特別な苦労をしてきているので読んでいって下さい。
ページ内目次
1.地獄の扉オープン
2.見栄地獄
3.借金地獄
1.地獄の扉オープン
全ての始まりは、高校二年生の夏休みに、バイクの中型免許を取った時からはじめりました。
免許をとるのは別に良かったのですが、その当時流行っていたビックスクーターをフルカスタムで150万円で購入しました。普通新車で買っても60万くらいでしょうか、ここで人から良く思われたいモテたいなどと浅はかな見栄を張って高校2年生にして、150万の借金を作りました。
もちろん自分の力で借金することはできなかったので親にローンを組んでもらったのですが、実家は金持ちでもないし親も常識人なのでもちろん反対されました。
私は、思いつく限りの作戦で親を説得しました。まずは、高校辞めると脅してみたりこんな貧乏な家に生まれた事を後悔するなどと精神的にせめたりとても幼稚な作戦で最初はやっていました。(本当に親不孝者です。)
これでは、ダメだと思って現実的に月々いくら返せばいつ終わるのかとまとめた紙を提出して説得にはいりました。
私は、高校入学と同時に精肉店でほぼ毎日バイトをしていて学費と携帯代を自分で払っていたので、給料が10万で学費と携帯代払っても4万はあまるからこれをすべて回すのでと説得しました。(今思うと典型的な貧乏になる考え方だなって思います。笑)
2.見栄地獄
そんなこんなもあり、高校を無事に卒業できて(結構成績以外で危なかったのですが、それはまた高校編があるかわかりませんがその時に)大手自動会社の下請け会社に無事就職が決まり地元宮崎県をでて愛知県に移りました。
私はもとから車が好きだったので(はい!!でました。やばい言葉が)社会人になったら車をすぐに買うつもりでした。
しかも欲しい車が「ローライダーです。」最近は全然見なくなったけど古いアメ車でジャンプする車です。当時は、買うのも高くなんと言っても維持費がとてもかかります。
Dofi18歳の夏400万で車購入しました。(パチパチ はぁ~(*´Д`))
十年前は、審査がゆるかったのか会社の力か審査が通りました。
買ったのが60年以上前の車で、内装もボロボロの車を400万で購入当時のDofiの野望は、すべて成人式で見栄を張るためだけに人生をささげていました。
3.借金地獄
「ビックスクーター残高80万」「ローライダー残高400万」18歳にして480万の借金をしました。
ここまでで、ヤバイと思う人もでてきると思いますがまだ始まりです。
私の誕生日に会社の先輩が「いいところ連れて行ってやる」と言われ車に乗って向かった先が私の歯車が大きく狂わせた場所でした。(何度あの瞬間を後悔したか)
それが、パチンコ屋でした。
私自身元から金持ちになるが夢だったのですが、親がギャンブル嫌いというのもあり私自身もギャンブルに興味すらなかったのですむしろかなり抵抗がありました。
その時も、車でずっと先輩に「行きませんよ」と言って車で待っていましたそして時が来ました。先輩が戻ってきて強引に店内に連れていかれこの台座ってみなといわれ、その時のギャンブルで使う千円はとてももったいなく思えたのを覚えています。
本当に千円使って車に戻るつもりでしたしかし、その千円が当たり仕事帰り夕方に行って閉店まで出続け16万になりました。
当時の月収が14~16万だったので、こんな簡単に給料超えてしまったとそこからギャンブルにはまり一人でも通うようになり勝てるはずもなく月を追うごとに生活費を脅かすほどになりあげくのはてには、生活費を使い込むようになりました。
親に嘘をつき生活費を借りたり、会社の友人で一緒にギャンブルする人に借りたりしてどんどん借金が増え給料もローンと借金とギャンブルで月に1,2万で生活をしていました。
その時・・・・
次回予告
愛知県転職編